首里の坂(ビラ)さんぽ|名前のある坂を歩く
首里を歩いた人の感想は、だいたい同じところに落ち着きます——「坂、多くない?」。そのとおり。首里は標高100mを超える丘の上に築かれた都で、どの方向へ歩いても坂に出会います。でもその坂の多くに名前があると知ると、上り下りが急に楽しくなります。
坂は「ビラ」
沖縄のことばで、坂はビラ。首里の古い坂の名前には、この「ビラ」がつきます。地名や道の名前に「〜ビラ」を見つけたら、それは「〜坂」のこと(首里ことば辞典とあわせてどうぞ)。
なぜ首里に坂が多いのか。答えは単純で、王城が丘の上にあるからです。守りやすい高台に城を置き、水は坂下の湧き水に頼る——首里のまちの構造そのものが、坂を前提にできています(樋川めぐりを読むと、坂と水の関係が立体的にわかります)。
シマシービラ ― 石畳道には坂の名前がある
首里でいちばん有名な坂は、間違いなく金城町石畳道です。実はこの坂道にはシマシービラ(島添坂)という別名があります。
1522年ごろ、尚真王の時代に整備が始まったと伝わる官道真珠道(まだまみち)の一部で、真珠道は首里城から那覇港・島尻方面へ通じた総延長約10kmの幹線だったとされます。いま石畳が残るのは約300m。20〜30cmほどの琉球石灰岩を不規則に組み合わせる「乱れ敷き」という手法で敷かれています。歩くときは石畳道の歩き方をどうぞ。
シチナンダビラ ― 石畳道には「続き」がある
石畳道を下りきると金城橋。ほとんどの人はここで引き返しますが、橋の向こうに坂の続きがあります。金城橋から識名へ上る識名坂(シチナンダビラ)です。
かつては松並木と石畳の坂だったと伝えられ、王家の別邸・識名園へ向かう道であり、首里から島尻方面への幹線の一部でもありました。国王も渡った橋と坂、というわけです(識名園の読みもの)。現在の坂は往時の面影こそ薄いものの、「石畳道は識名園までつながる道の一部だった」と知って金城橋に立つと、風景の意味が変わります。
ヒジ川ビラ ― 崎山へ上る古道
首里城の南東、金城ダムのそばから崎山方面へ上るのがヒジ川ビラ(ヒジガービラ)。現地の案内では、周辺に琉球の産業の恩人・儀間真常の墓や、雨乞いの御嶽などの史跡が点在すると紹介されています。上りきった崎山は泡盛の首里三箇のひとつで、崎山公園の展望が待っています。石畳道ほど整備された観光路ではないので、歩くなら明るい時間帯に。
坂のまちを楽に歩くコツ
- 原則「上りは乗り物、下りは徒歩」。ゆいレールで首里駅まで上がってしまえば、あとは下り基調で組めます(アクセスガイド)
- 石畳の下りは雨の日・雨上がりがいちばん危険です。濡れた琉球石灰岩はよく滑ります
- 夏の坂は朝のうちに(夏の歩き方)。冬は風、で坂の体感が変わります(冬ガイド)
- ベビーカー・車いすの方は坂と石畳の回避ルートをバリアフリーガイドで
- 坂の途中でこそ振り返る。首里の坂は、上るときより振り返ったときの景色が本番です
名前を知ってから歩く坂は、ただの上り下りではなく「王国の道」になります。次の首里さんぽでは、足元の傾斜にも名前があることを思い出してみてください。
※本記事は首里城公園・自治体等の公開情報をもとにまとめたものです。坂の名称・由来には諸説ある場合があります(情報確認日:2026年7月26日)。
首里エリアは宿が少なめ。ゆいレールで直結の那覇市内に泊まるのが定番です。
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